「運命」という言葉が、なぜか言いづらくなった現代で
最近、「運命」という言葉を口にするのが少し怖い。
スピリチュアル、占い、予言、導き──
かつては人を支えていたはずのそれらが、
どこか距離のあるものとして捉えられ始めている。
一方で、アルゴリズムやAIによる「予測」は、
ごく日常的なものとして受け入れられている。
不思議なことに、
“導かれている”という感覚が、
いまや「統計的な推薦」として私たちの前に現れる時代なのです。
私たちは「選んでいる」のか、「選ばされている」のか?
スピリチュアルとAIの“共通点”
スピリチュアルとアルゴリズム。
一見、正反対のもののように見えるふたつは、
実は根本で“似た不安”を抱えています。
それは、
「私の未来が、あらかじめ決められていたとしたら?」
という問い。
「何者かに導かれる」という考えは、
安心感とともに、“自由を手放す不安”も呼び起こします。
コードで生成された“あなたの運命”
AIやレコメンドシステムは、
私たちのクリック履歴、購買傾向、思考パターンから
「あなたにぴったりの未来」を提案してきます。
- 次に観るべき映画
- 次に買うべき本
- 次に好きになるかもしれない人
それは“選ばされた感”を残さぬまま、
私たちに「これはあなたの意思ですよ」と語りかけてくる。
精度が高まるほど、自由が揺らぐ
おすすめされる未来は、私が選んだものか?
「あなたにおすすめ」された選択肢の中で、
私たちは「自分で選んだ」と思っています。
でも、そこに並ぶのは、
過去の私を学習してつくられた“似姿”の中の未来。
精度が上がるほど、驚きは減り、
予測可能な日常が増えていく。
それは便利さと引き換えに、
「自分で選んでいる感覚」を、静かに削いでいくのです。
それでも「問い続ける」ことだけは、コード化できない
自由とは、「問いを持ち続けること」
私たちは、自分の人生を、
「自分で選んだ」と信じていたい。
たとえその選択肢が、
あらかじめ誰か(あるいは何か)に用意されていたとしても──
問い続けること。
「これは、本当に私が選びたいものか?」と。
その問いだけは、どんなAIにも、
どんなスピリチュアルにも、書き換えられない。
今日の問い:あなたの運命は、誰のコードで書かれていますか?
運命は、どこかに用意されたものかもしれない。
けれど、どう感じるかは、あなたが決めていい。
「書かれたコード」ではなく、
「信じたい未来」を、あなた自身が選んでいい。
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