── 倫理と感情のあいだを編み直す語り
「そのつもりじゃなかった」の記憶
「そのつもりじゃなかったんです」──。
その一言に込められた“優しさ”が、なぜか一番、心を締めつけた。意図は善意だった。悪意なんてなかった。でも、その優しさは、確かに私の中に“沈黙”を生んだ。
・気をつかってくれた言葉
・気づかないふりをしてくれた態度
・「あなたのためを思って」という配慮
それらは、どれも“正しさ”と“思いやり”に見えるかもしれない。でも、受け取る側の心は、必ずしも癒されるわけではない。むしろ、「あなたのために」という枕詞が、どこかで“反論できない空気”を作ってしまう。
優しさがもたらす“語れなさ”
「わかっているよ」
そう言われた瞬間、なぜか“わかってほしくなかった”部分が、音もなく飲み込まれてしまったように感じることがある。何も言えなくなる。何も言わなくていいと、周囲に思われてしまう。
実は、こうした「優しさによる封じ込め」は、日常の中で無数に起きている。
- 話す勇気を持ったときに、「大丈夫」と遮られる
- まだ苦しんでいるのに、「もう乗り越えたでしょ？」と微笑まれる
- 答えを出していないのに、「これでよかったんだよ」と肯定される
“良かれと思って”発された言葉が、ときに相手の語りの可能性を閉じてしまう。それは、意図せずして“言葉の暴力”になることすらある。
“語らない勇気”としての優しさ
では、本当の優しさとは何か。
それは、たとえば「沈黙に耐えること」かもしれない。
・問い詰めない
・励まさない
・すぐに答えを出さない
隣にいるだけでいい。話さなくてもいい。そうやって“余白”を保ちながら、相手の言葉が生まれるのを待つ。それこそが、もっとも非暴力的な優しさではないだろうか。
優しさとは、語ることではなく、「語らずにいることの許可」。与えることではなく、「何もできない自分を見つめる強さ」。
それを実行するには、想像以上の勇気と忍耐が必要だ。沈黙に向き合うことは、自分の不安や無力感とも向き合うことだから。
沈黙を尊重するという選択
私たちは、「何かしなければ」という衝動に弱い。
誰かが泣いていたら、声をかけなければいけない気がしてしまう。落ち込んでいる人を見たら、元気づけなければいけないと感じる。
でも、もしかしたらその“反応の早さ”が、相手の沈黙の中にあった声を押し流してしまうのかもしれません。
沈黙には、言葉になる前の感情が宿っています。
- まだ整理できていない思い
- 誰にも触れてほしくない傷
- 語るには早すぎる不安
その“前段階の感情”を、尊重する。それは、受け手の勇気であり、ある種の倫理なのです。
優しさと倫理のあいだにあるズレ
優しさとは、個人の感情の表現であり、倫理とは、関係性の中で調整されるものです。ここにしばしばズレが生じます。
「自分は良かれと思ってやった」
「気持ちを込めた」
「助けになりたかった」
そうした思いがあったとしても、相手がそれをどう受け取るかは、別問題です。ここにあるのは“倫理と感情の非対称性”。
このズレをなくすことはできません。でも、「もしかしたら自分の優しさが、相手を黙らせてしまったかもしれない」と想像する力。それが倫理を支える基盤となります。
つまり、優しさを行使する前に、「この優しさは誰のためか？」と立ち止まれるかどうかが、問われているのです。
優しさを再定義する
ここで、私たちが考えるべきは、優しさを“再定義”することです。
- 「癒すこと」ではなく、「傷ついていることを否定しないこと」
- 「励ますこと」ではなく、「苦しんでいる状態をそのままに置くこと」
- 「変えようとすること」ではなく、「変わらない現実を一緒に見ること」
優しさとは、相手を変える力ではなく、変わらなくても大丈夫だと伝える“在り方”なのかもしれません。
この定義に立ち戻ったとき、ようやく「暴力でない優しさ」の輪郭が見えてきます。
私たちは“語られること”に慣れすぎた
情報化社会に生きる私たちは、語られること、説明されること、意味づけされることに慣れすぎてしまいました。
「大丈夫？」
「こう考えたらいいよ」
「これには意味があるんだよ」
そうやって、すべてにラベルを貼り、意味づけを施すことで安心しようとする。でも、時には“意味のない状態”“言葉にならない状態”にただ共にいることが、必要なときもあるのです。
そのとき、求められているのは、「語られないことに耐える力」。それが、今の時代に最も難しく、そして最も尊い優しさかもしれません。
今日の問い：「あなたの優しさは、誰かの沈黙を壊していませんか？」
優しさとは何か。どこまでが思いやりで、どこからが暴力なのか。
その線引きは曖昧で、誰かの心の中にしか存在しません。
だからこそ、私たちは問い続ける必要があるのです。
「この優しさは、相手の語りを促すものだったか？」
「それとも、相手の沈黙を塗りつぶすものだったか？」
“優しさ”という言葉があまりにも簡単に使われる今だからこそ、その意味を、感情と倫理の間で編み直していく必要があるのではないでしょうか。
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